日本の歴史や建物で「城」という言葉はよく耳にします。「天守」についてはどうでしょうか?◯◯城はあっても◯◯天守はなく、たいてい◯◯城天守となっているのではないでしょうか?
「城」と「天守」はよく混同されがちですが、実は以下のような明確な違いがあります。
城巡りをしていると、
すいません。「城」にはどう行ったら良いんでしょうか?
とよく聞かれます。
あんたが立っている場所はすでに城なんだけど……。
と心のなかで激しく突っ込みながらも、優しく天守への道案内をさせてもらっています。
本記事では、「城」と「天守」の違いについて、わかりやすく解説します。
本記事を読めば、城にいるのに「城にはどう行けばいいのですか?」ではなく、「天守へはどう行けばいいのですか?」と正しく尋ねることができるようになります。
「城」とはなにか
「城」とは、敵からの攻撃から身を守るために建てられた防御施設のこと。
防御施設ですので、弥生時代の環濠集落や高地性集落も城の一種と考えられますし、大和朝廷が蝦夷侵攻の際に東北に立てた城柵も城の一種です。
日本の城も、ドイツの城も、似たような過程を経て発展しています。
日本の「城」と、海外の「城」の概念の違い
日本では「城=領主の館」をイメージすることが一般的ですが、海外では「都市=城壁で囲まれている街」を意味することが一般的です。
この違いは、戦争の仕方の違いにあります。
戦争になると、領民、一族、民族の存亡をかけた戦いになることがあったため、大陸では都市ごと防衛することが当たり前でした。
フランク王国の建国には、他部族の滅亡が伴っています。
ヨーロッパではマジャール人やバイキングの襲来なんかもあったし、中国も北の遊牧民の攻撃を受けていたしね。
日本の城
日本で「城」といった場合、基本的には領主の住む館です。
領主の住む館は、その周囲に土塁と堀を巡らせて、土塁の上にはせいぜい塀を作ることがありました。しかし町全体を囲むようなことはありませんでした。
戦国時代には軍事拠点としての機能だけをもった城が多く築かれるようになります。
日本では戦国末期になってようやく城下町が形成され、城下町ごと堀や土塁で囲む惣構と呼ばれる城塞都市が建設されるようになりました。
城に城下町を伴うようになったのは、少なくとも江戸時代以降の近世城郭からで、中世城郭に城下町はありません。
海外の城
城を表す言葉でも、言語によって若干ニュアンスが異なります。
- 中国語の城
城:都市を囲む城壁
宮:城の中にある領主が住む場所 - 英語の城
Wall:城壁
Castle:領主が住む場所 - ドイツ語の城
Burg:古代ローマの物見櫓「burgi」、あるいは安全な場所「geborgen」を語源とする城塞
Schloss:近世になって王侯貴族が建てた城館
ドイツで「◯◯ブルク」となっている都市は、もともと城壁で囲まれた城塞都市に由来しています。
「天守」とはなにか
天主は「天守」のほか、「天主」とも「殿主」とも呼ばれる城の高層建築物です。
天守の語源には諸説あります。
- 城の主殿であり、中心の建物という意味から
- 天主教(キリスト教)の天主堂のイメージから
日本の城に天守が登場したのは、戦国末期。本格的な天守建設は織田信長が建てた安土城がはじまりだとされています。
安土城からはじまった天守建設は江戸時代初期にかけて盛んに築造され、最盛期には100を超えていたと推定されています。
天守の役割
- 城のシンボル
- 権力の象徴
- 物見櫓
天守は城の最高地に建てた高層建築物。実際の役割としては、城下を見渡す物見櫓としての機能しか持ち合わせていません。
しかし城主の力を誇示するための目立つ存在として、天守は有効でした。同時に、城下に住む武士や農民たちも、天守に愛着を持って誇りとしました。
- 明治時代、天守を廃城令から守ろうとする動き
- 戦争で焼失した天守を復興しようとする動き
これらは城のシンボル、いや、町のシンボルとしての天守の役割が大きかったからではないでしょうか。
天守と同じ?違う?似てる?似てない?ドイツのベルクフリート
天守の時代の終焉
天守のような建物は、大砲の時代になると絶好の標的になってしまいます。また、天守のような目立つ存在を建てると、江戸幕府から睨まれるおそれもあります。
- かつて天守はあったけれど、焼失した後再建しなかった
- 天守台を造成しても、天守を建てなかった
江戸城や駿府城など、立派な天守はあったけれど焼失以降、天守が再建されなかったのは天守の時代ではないことの現れです。
一方で、幕末まで残っていた天守が多くあります。
大坂の陣で大砲が使用されたとはいえ、
天守の時代は意外にも短いけれど、城の意味をかっさらうほど存在感は大きい。
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