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現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守の違いって何?

日本の城は、明治時代の廃城令により多くの城が取り壊されてしまいました。

明治の廃城令を生き延びた城でも、第二次世界大戦による空襲などで失われてしまった天守が多くあります。

それらの試練を乗り越え、江戸時代の姿を維持している天守は現在12城。それ以外の城の天守は、その後の復興活動によって再建された天守です。

江戸時代から残る天守は現存天守といいますが、再建された天守はどの程度史実に基づいているかにより、以下の3つに分けられます

  • 復元天守:資料に基づいて忠実に再現
  • 復興天守:資料が乏しく、一部は推定
  • 模擬天守:史実に全く基づいていない天守

復元>復興>模擬の順に、史実に忠実に再現しているのね。

本記事では、現存12天守を紹介し、復元天守、復興天守、模擬天守がどのようなものであるかについて、簡単に解説します。

城主 城山塔子

再建された天守なのかどうか、どの程度史実に忠実なのかわかっていると、天守をみる目も変わり、城巡りが楽しくなります。

目次

現存天守

江戸時代から変わることなくそのままの姿を留める現存天守は、現在12城のみ

この12城以外はすべて復興天守です。

現存12天守

以下のリストが、江戸時代からの天守を残す城です。

城名形式天守構造国宝
姫路城平山城連立式望楼型5層6階地下1階
松本城平城連結複合式望楼型5層6階
彦根城平山城望楼型3層3階地下1階
犬山城平山城望楼型3層4階地下1階
松江城平山城望楼型5層5階地下1階
弘前城平山城層塔型3層3階
丸岡城平山城望楼型2層3階
備中松山城山城望楼型2層2階
丸亀城平山城層塔型3層3階
松山城平山城連立式層塔型3層3階地下1階
宇和島城平山城層塔型3層3階
高知城平山城望楼型4層6階
現存12天守

姫路城、松本城、彦根城、犬山城は国宝、それ以外の城は国の重要文化財に指定されています。

犬山城が現存最古の天守とされており、織田信長の叔父、織田信康が天文6年(1537)頃に築いたと伝わっていますが、慶長6年(1601)に築城されたという説もあります。

城主 城山塔子

現存12天守のうち、唯一の山城である備中松山城に一度行ってみたいです。

姫路城、彦根城、松本城、犬山城、丸岡城には行きました。

丸岡城

丸岡城は、当時の越前領主柴田勝家の甥、柴田勝豊しばたかつとよが天正4年(1576)築城したといわれています。

福井県坂井市にある丸岡城天守は、昭和23年(1948)の福井地震で倒壊し、その後元の部材を利用して再建されたものです。

城主 城山塔子

厳密に「現存天守」かと問われたら、ちょっと怪しい。

慶長年間(1596~1615)の特徴も多くあるため、その頃の改修もあったのではないかという説もあります。

瓦が冬の寒さで割れるのを防ぐため、石瓦を使用している珍しい天守です。

復元天守

外観復元された名古屋城天守

復元天守は復興天守のくくりに含まれるものですが、復興天守の中でも絵画や写真などの資料に基づいて忠実に再建したものを復元天守といいます。

明治初期の廃城を免れたものの、第二次世界大戦の空襲で消失したものは写真などの資料が豊富に残っています。第二次世界大戦で失われてしまった天守は、それらの資料に基づいて、外観だけはかなり忠実に再現することができました。

第二次世界大戦までとはいかなくても、明治維新まで残っていた天守も写真などの資料が残っているため、忠実に復元することができましたものもあります。

復興天守の代表例

第二次世界大戦で焼失後再建

  • 名古屋城
  • 広島城
  • 岡山城
  • 和歌山城

明治維新で失われたが資料により再建

  • 熊本城
  • 会津若松城

絵図や写真を元に外観を再現したものは、外観復元天守といいます。

ただし、資料に基づいているのは外観のみで、内装や素材などは資料に基づいているとは限らず、鉄筋コンクリート製であることが多いです。

城主 城山塔子

外観復元天守の名古屋城は、「どうせ鉄筋コンクリートでエレベーターがついているんでしょ」なんて、よく揶揄されますね。

名古屋城は、木造で復元したいという動きがあります。現在の建築法基準では実現が難しいようですけど、動きがあることは嬉しい話。

もし木造で天守が再建されたら「鉄筋コンクリート造りで興ざめ」なんてことは、きっと言われなくなります。

最近の城郭復元は、外観だけでなく、建築方法にもこだわろうとしている動きがあります。

近年は建築基準法の改正により、木造でも建築が許可されることがあり、木造での復元天守が再建されることがあります。

復興天守

掛川城
資料と高知城を参考に再建された掛川城

その城にかつて天守があったのは確かだとしても、どんな外観であったのかを示す資料に乏しいため、一部は推定による天守を築いた場合は復興天守となります。

少なくとも明治初期のころまで天守が残っていれば、写真等の資料はありますが、江戸時代の早い段階ですでに失われてしまっている場合は、資料がありません。

文献や発掘調査でわかったこと、時には同時代の他の城などを参考にしながら再建された城が復興天守。

復興天守は、復元天守と模擬天守の中間的な天守です。

掛川城は日本初の木造復元天守

模擬天守

熱海城はただの天守風の建物

城には必ず天守があるというのは、ただの思いこみで、最初から天守がない城もありました。

歴史的な根拠や史実に関係なく、天守のない城に天守風の建物を新たに建てたり、そもそも城がないところに城っぽい建物を観光用に建てたりすることがあります。

これら史実に全く基づかない城を模擬天守といいます。

天守があったかどうかよくわかっていない城にある天守、本来とは全く違う場所に立つ天守も模擬天守に分類されます。

模擬天守代表例
  • 岐阜城
  • 平戸城
  • 富山城
  • 墨俣城

模擬ですらないなんちゃって天守

模擬天守はまだましですが、そもそも城自体が存在していなかったところに天守風の建物が建てられることもありました。

こうなると、模擬天守どころか、なんちゃって天守、なんちゃって城郭です。

なんちゃって天守の代表例
  • 熱海城(そもそも城自体が存在していない)
城主 城山塔子

城郭マニアだけでなく、一般市民もこれには苦笑いするしかない。

城といえば天守でしょ

城といえば天守がなきゃね。天守閣を建てて、町のシンボルにしたい

という気持ちもわからなくもないですが……。

「天守がなきゃ城じゃない」というのは、何も日本に限った話ではなく、実はドイツも同じだったりします。

中世時代に存在していたかどうか疑わしいベルクフリートがあるヴァルトブルク城

ヴァルトブルク城のベルクフリート(主塔、天守)は、19世紀のロマン主義による再建。

城を象徴する天守への憧れは、洋の東西を問わないようです。

城主 城山塔子

ヴァルトブルク城はドイツ人で賑わう人気観光スポットです。

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