『どうする家康』第8回のタイトルは「三河一揆でどうする」。
一向一揆に加え、家臣の裏切りが相次ぎ、三河は大混乱!家康(松本潤)は、半蔵(山田孝之)を本證寺に潜入させ、内乱を仕掛けるが、そこで目にした意外な人物とは!?
舞台は戦国時代。当然のことながら多くの城郭たちが物語には登場します。
本記事では『どうする家康』第8回に登場する城郭たちを紹介し、物語の背景などを城郭の観点から補足解説いたします。
第8回の見どころキーワードは、「国の主」です。
『どうする家康』第8回に登場する城郭たち
- 岡崎城
- 本證寺
不入の権をめぐって寺と争うことになってしまった家康。ゆえに登場する城は岡崎城と本證寺のみです。
- 上宮寺
- 勝鬘寺
青い布切れは、おそらく矢作川を表しています。
いずれも堀と塀に守られているのはもちろんのこと、川に近いため周囲は湿地帯という難攻の地。
岡崎城
家康は不入の権のあった寺から税を取り立てるようにしたところ、寺から返り討ちにあったという報告を受けます。。
この場面では、背景に山があり、の山の形から、南側を向いているのでしょうか。
現在の岡崎城は、この時代の岡崎城に比べると、随分と拡張されました。家康の若かりし頃の岡崎城は、まだ本丸と二の曲輪、東曲輪ぐらいしかなかったと考えれらています。
岡崎城について詳しく知りたい方は、下記をご覧ください。
本證寺
CG再現された本證寺全景
本證寺は二重の堀に囲まれた城郭寺院。堀に蓮を植え、仏教寺院らしく表現されています。
塀の内部は、さながら城塞都市のよう。実際に寺内町が発展していたそうです。
寺内町で暮らす人々
蓮の池はただの池なのか、それとも堀なのか、解釈に迷います。
現在の本證寺は一向一揆の後、一度更地にされた後に再建されたもの。
更地にされた後に再建されたとはいえ、堀や土塁といった城郭寺院としての設備が今も残っていて、かつてここは要塞化された寺院であることを物語っています。
さすがに外堀の大部分は埋め立てられてしまっているけどね。
第8回「三河一向一揆」のあらすじ
夢の中で本を読んでいる家康は、義元から
この国の主は、誰ぞ?この国の主でもあり、この天下の主でもある。
という問いかけを投げられ、
「太守様」、「今日の将軍様」、「天主様」など答えるも、それらすべてを義元に否定される家康。
この天下の主はなあ……
この天下の主が誰なのか。この問の答えは、世界各国の指導者にぜひとも聞いてほしい言葉です。
- 松平家康
- 今川義元
- 瀬名
- 織田信長
- 酒井忠次
- 榊原康政
- 本多忠勝
- 鳥居元忠
- 夏目広次
- 鳥居忠吉
- 大久保忠世
- 平岩親吉
- 本多忠真
- 渡辺半蔵守綱
- 土屋長吉重治
- 登与
- 木下藤吉郎
- 空誓
- 女大鼠
- 吉良義昭
- 松平昌久
- 千代
- おふう
- おりん
- 本多正信
- 服部半蔵
- 石川数正
- 竹千代
- 亀姫
名前のみ登場(一向一揆に乗じて謀反を起こした者として紹介される)
- 荒川義広
- 酒井忠尚
- 松平家次
ここに登場する空誓上人は貫禄があって、役者も年配のお坊さんらしく演技をしていますが、当時の空誓上人は史実ではこのとき19歳、家康20歳のときのことです。
- 相次ぐ戦で財政難の家康は、不入の権を持つ寺からも年貢を取り立てようとするが拒否される
- 寺側では門徒宗たちに戦道具を持って集まるようにお触れをだす
- 寺との戦になってしまったことに、家臣たちから責められる
- 家康の家臣たちの中には、寺側につくものが現れる
- 吉良義昭と松平昌久が一揆側につき、三河は内乱状態に
- 殿自ら先頭に立って、本證寺に攻め込む
- 服部党を本證寺に送り空誓暗殺を試みるが失敗。軍師に本多正信がいることを知らされる
一揆側に加担する吉良義昭と松平昌久
吉良義昭は主君にしてくれるという千代の誘いに乗り、松平昌久とともに一揆側につきます
永禄6年正月に、あちこちの門徒宗が集まって、土呂、針崎、野寺、佐崎にこもって一揆を起こし、家康の敵となる。そのとき、義諦をそそのかして、主君とするというと、(義諦は)その話に乗って、敵となり、東条の城へ急ぎこもって戦いをしかけた。
『三河物語』三河一向一揆より
「この国の主」は誰なのか?
気絶してしていた時にみた夢で、義元からの教えを思い出す家康。
この国の主は「民」じゃ。「民」に見放されたとき、我らは死ぬのじゃぞ。
この問の答えは、世界中の指導者たちに肝に銘じてほしい良い言葉です。
世界史を眺めれば、生活が成り立たないほどに支配者層に搾取されすぎた時、革命が起きています。
第8回「三河一向一揆」の感想
この国の主はわしなのだから、民はわしのことに従って当然!寺も年貢を納めるべき!
といった誤った思い込みから勃発してしまった三河一向一揆。
一向一揆以前に、岡崎に戻って今川から独立したばかりの家康は、三河平定のために戦ばかりの日々。戦ばかりで疲弊した民が切れて反乱を起こしてしまったと考えられています。
民を無視して国を治めることはできぬと、20歳の家康は深く反省したと言われています。
夢の中で、義元とのやりとりから始まる冒頭と、名もなき民を表現している「蟻」がちょいちょい出てくるのは、意味深です。
榊原小平太康政の出陣
史実では、三河一向一揆が榊原康政の初陣。しかしどうする家康では、一足先に第6回の上ノ郷城攻めで初陣を果たしています。多少の前後は気にしないことにします。
第6回の時よりもちょっとだけ装備が良くなってます。
役者さんの少年っぽい演技が良き!この時の小平太は16、7歳のはず。
ドラマでは小平太の活躍はあまり描かれていませんが、この時の活躍で家康から「康」の字をもらって「康政」を名乗るようになったと思うと感慨深いです。
榊原康政は、家康から諱をもらった唯一の家臣。
大久保忠世の負傷
大久保忠世は目を射抜かれたという史実に基づき、目に包帯をして登場した忠世。
この時の傷で失明したという情報はどこにもないので、目の付近をかすめた傷なのかもしれません。
家康の先鋒隊として、上和田に大久保一族がいた。針崎(勝鬘寺)と対抗する。(大きく中略)1月11日には、土呂、針崎、野寺三カ所の一揆方がひとつになって、上和田へ攻め寄せたので、(中略)おいの新十郎(忠世)も目を射抜かれ、……。
『三河物語』三河一向一揆より
大久保家の者が記した『三河物語』では三河一向一揆で大久保一族が大活躍。
忠世が目を負傷したことをちゃんと描いてくれたことは、ちょっと嬉しい。
殿に名前を覚えられない夏目広次
第1回の夏目広次の名乗り方も、「広信」とか「吉次」とか、いつも名前を間違えられる夏目広次。
なぜいつも名前を間違えられるのか、後の三方ヶ原の戦いの伏線になっているとは、この時もまだ気づいていませんでした。
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