2023年の大河ドラマの主人公は、徳川家康。誰もが知っている戦国武将。
歴史上の人物を扱う大河ドラマは、登場人物がその後どのような運命を辿ったのか、視聴者はわかっています。知っているがゆえに、それがどのように味付けされて表現されるのかみるのが、楽しみの一つ。
第1回のタイトルは「どうする桶狭間」で、駿府での生活の回想シーンとともに、桶狭間の戦いで今川義元が討死したときまでが描かれます。
群雄割拠する戦国時代。尊敬する今川義元(野村萬斎)のもとで、人質ながらも充実した生活を送っていた松平元康、のちの徳川家康(松本潤)は、心優しい姫・瀬名(有村架純)と結婚。このまま幸せな日々が続くと信じていた。そんなある日、織田信長(岡田准一)が領地に攻め込み、元康は前線基地の大高城に米を届ける危険な任務を命じられる。何とか使命を果たしたものの、戦場の真ん中でまさかの知らせが!どうする元康!?
舞台は戦国時代。当然のことながら多くの城郭たちが物語には登場します。
本記事では『どうする家康』第1回に登場する城郭たちを紹介し、物語の背景などを城郭の観点から補足解説いたします。
第1回の見どころは、晩年の狸親父には遠く及ばない、弱くて臆病な白兎な少年時代の家康像。この頼りない少年が成長し、どうやって天下を統一するのか、ワクワクさせる内容になっているところです。
第1回に登場する城郭たち
第1回は、駿府で人質生活を送っていた元康が、桶狭間で兵糧を送り届ける話。
ゆえに登場する城郭は、桶狭間の戦いと、家康が過ごした岡崎城と駿府城。
- 大高城
- 今川館(駿府城)
- 岡崎城
- 沓掛城
- 丸根砦
大河ドラマに登場する城の遠景は、当時の城の様子をCGで地形とともに表現しています。
大高城
CG再現された大高城
元康が大高城に兵糧を運び入れるために馬を走らせて進軍するところはCGで表現されています。海に近い湿地帯であることがちゃんと表現されていました。
当時の海岸線は大高城のすぐ近くにあり、周囲は湿地帯。埋立て等が進んだ現在は、住宅地になっています。
大高城へ兵糧を運び入れるためには、織田軍が陣取る鷲津砦と丸根砦を攻略しなければなりませんでした。
大高城のすぐ近くまで織田軍が迫ってきていたことが、現場を歩くと実感できます。籠城している側は、さぞや恐ろしかったことでしょう。
樹木に覆われてよく見えませんが、大高城には土塁や堀がよく残っています。
大河ドラマのあのシーンは、この堀だったのだろうかと、妄想を掻き立てられます。
桶狭間の戦いのときの大高城の立位置
大高城とその近くにある鳴海城は、今川氏が尾張へと勢力範囲を広げるための前線基地。大高城は今川家臣の鵜殿長照軍が駐屯していました。
鳴海城は海から物資の搬入路を確保できていましたが、織田方に連絡路を断たれてしまった大高城は鳴海城から物資の搬入ができなくなり、孤立無援の状態。
だからわしが兵糧を運び入れることになったんじゃ。織田軍に囲まれた城に運び入れるのは大変だったんじゃぞ。
桶狭間の戦い時、大高城が置かれた状況など、詳しくは下記記事をご覧ください。
今川館(駿府城)
CG再現された駿河の都
今川義元の治世の頃、京から人を呼び寄せたりと、駿河は華やかにたいへん栄えていました。
松平元康は人質生活といえど自分の屋敷を今川館にあり、家臣と同等の扱いであったと、最近の研究では明らかになっています。
かつては辛い人質生活だったと教え込まれていたけれど、180度変わりましたね。
今川義元の「元」の字を名前にもらっていますし、臨済寺で太原雪斎からの教えを受けていたりと、今では人質としては破格の待遇だったと考えられています。
家康が将来氏真の重要な家臣の一人となるように、期待されていたことの現れです。
発掘調査で、駿府城の下に眠る今川館の様子が少しだけ明らかになっています。
駿府城の下に眠る今川時代の庭園の跡が見つかったりしていますが、今川館の全体像はほとんど何もわかっていません。
岡崎城
CG再現された岡崎城
ど田舎にある中世の城郭として表現されている岡崎城。華やかな駿河の都との対比が面白い。
家康が過ごしていた当時の岡崎城の姿は、ほとんどわかっていません。岡崎城は家康の時代になって、かなり改修されました。
現在の岡崎城の姿は家康時代のものではなく、田中吉政や江戸時代の藩主たちの改修によるものです。
沓掛城
沓掛城で舞を舞う今川義元
今川義元を演じている野村萬斎の本職の舞が見られると評判の場面。
舞を舞う義元公の背後にある物見櫓は、あの小高い丘状の諏訪曲輪を現しているのかな?
現在は堀は埋まり、土塁は削られて低くなってしまっていますが、上記写真の右側に舞台が設けられ、右から眺めるとドラマの場面になりそう。
沓掛城について詳しくは下記をご覧ください
丸根砦
丸根砦と鷲津砦?
ドラマでは丸根砦は登場しますが、鷲津砦の名前は登場しません。
右側の砦は鷲津砦だと思っています。
酒井忠次が大高城に兵糧を運び入れる作戦を話す場面で、
これらの砦の間を通って……
と石を使って説明しているそのうちの一つの砦は、鷲津砦だと思われます。鷲津砦の方が丸根砦より大きく、丘が連なっています。
丸根砦は鷲津砦とともに、大高城と鳴海城を孤立させるために織田氏が築いた砦。そのため大高城と鳴海城の連絡路は断たれ、鳴海城から大高城への物資の搬送ができなくなってしまいました。
大高城に兵糧を運び入れるために、丸根砦を攻め落とさなければならなりません。三河勢は丸根砦を攻め落とした上で、大高城に兵糧を運び入れます。
桶狭間の戦い時、大高城が置かれた状況など、詳しくは下記をご覧ください。
第1回のあらすじ
第1回は桶狭間の戦いで今川義元が討死するまでが、駆け足で描かれています。
- 松平元康(徳川家康)
- 石川数正
- 今川氏真
- 今川義元
- 山田新右衛門
- 鳥居彦衛門元忠
- 平岩七之助親吉
- 酒井左衛門尉忠次
- 登与(酒井忠次の妻)
- 大久保忠世
- 本多忠真
- 夏目広次
- 瀬名
- お田鶴
- たね(瀬名の侍女)
- 関口氏純
- 巴(関口氏純の妻)
- 鵜殿長照
- 本多平八郎忠勝
- 織田信長
- 武田信玄
初回は登場人物の紹介も兼ねてか、多いですね。
いきなり大高城から元康が恐怖のあまり逃げ出そうとする場面に始まり、今川館での暮らしが描かれたあと、最後も大高城に終わります。
- 瀬名との出会いと結婚、長男の誕生
- 三河への一時里帰りが許されるも、本曲輪には城代がいるため、二の曲輪に入ったこと
- 留守を守っている三河家臣団との再会
- 「王道」と「覇道」を説く義元から金陀美具足を賜る
- 大高城への出陣と今川義元の死、迫りくる織田軍
- 恐怖のため陣中から逃げようとする元康と殿を見つけた忠勝
- 織田家での辛い人質時代の思い出
海辺まで逃げ出した殿を見つけたのは本多忠勝ですが、逃げ出した殿が恥ずかしくて、
主君とは認めん!
となんて言ってしまうセリフは良いですね。。本多忠勝にとって桶狭間の戦いは初陣。当時13歳。
とても13歳には見えず、脳内での年齢補正必須ですが、戦国最強武将のこのかっこいい登場の仕方は良いですね。
『どうする家康』の本多忠勝は、殿に対してツンデレなところが良い!
当時の海岸線が大高城のすぐ近くにありましたから、海辺でのこのシーンはありです。
第1回感想
今まで巷で考えられていた徳川家康像ではなく、最近の研究で明らかになった「短気で臆病で、神経質」な家康像になっています。
多くの大河ドラマに登場するのはさまざまな経験を通して成長した後の狸親父な強い家康です。しかし本作第1回に登場するのは「臆病で泣き虫」な若き家康。
従来にない家康像に、SNSでは賛否両論吹き荒れていました。
最初から強い人なんていない。弱い家康が家臣たちに叱咤激励されながら、いろいろな経験を通して強い家康になっていく成長物語。
そんなことを予感させる「力も弱い、精神も弱い」若き日の家康でした。
馬や戦場が全てCG表現されていることに対し興醒感がありますが、今の時代仕方のないことかもしれません。
家康も最初から狸親父で強かったわけではなく、若かりし日は弱く頼りない存在ということを示したのが第1回。
さらに、
今川館での人質生活は、将来今川家に使える家臣として教育を受けており、今川家の重臣関口氏の娘を娶るなどの破格の待遇。悲惨な人質生活ではなかった。
という、最近の研究結果も反映されていました。
桶狭間で残念な死に方をしたため評価の低かった今川義元が、名君として描かれたことは良きこと。
今川義元は法度を制定したり、支配下に入った国衆たちの領国を安堵したりして国を発展させていますし、尾張にまで勢力を拡大しつつありました。
武をもっておさめるのは覇道、徳をもって治めるのが王道
を元康に説いています。どうする家康が描く一つのテーマ。泰平の世を築くためには重要なことですね。
登場した城郭について
城の遠景はすべてCGで表現されています。
近世の城郭ではなく中世の城郭らしい姿で描かれていることは、ちゃんと時代考証されていて、たいへん良きこと。
普段見慣れている近世城郭と、戦国時代の城郭は似ても似つかないからね。いい感じに再現されてて好き。
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