『どうする家康』第2回はのタイトルは「兎と狼」。
今川義元(野村萬斎)がまさかの討ち死。織田軍に包囲され、絶体絶命の松平元康(松本潤)。しかし織田信長(岡田准一)は突然、退却を始めた。元康は大高城を捨て、瀬名(有村架純)が待つ駿府に帰ろうとするが、家臣たちは故郷の三河に戻りたいと猛反対。元康はしぶしぶ三河へ向かうことにするが、敵の罠にはまり、鳥居忠吉(イッセー尾形)が大けがを負うなど、松平軍は大混乱に陥る。何とか岡崎の大樹寺に逃げ込んだが…。
舞台は戦国時代。当然のことながら多くの城郭たちが物語には登場します。
本記事では『どうする家康』第2回に登場する城郭たちを紹介し、物語の背景などを城郭の観点から補足解説いたします。
第2回の見どころは、家康の旗印となった「厭離穢土欣求浄土」という言葉との出会いです。家康が戦場で振るう軍配もこれ以降「天下泰平」という言葉になりました。
『どうする家康』第2回に登場する城郭たち
- 岡崎城
- 大高城
- 清須城?
- 大樹寺
- 今川館(駿府城)
- 下山
- 波木井
- 大宮
- 横山
- 朝比奈
- 神之峰
- 駒場
- 和田
- 勝坂
- 苗木
- 小里
- 田峯
- 武節
- 足助
- 品野
- 荒子
- 苅谷
- 野田
岡崎城
徳川家康は岡崎城の坂谷曲輪にある屋敷で生まれたと言われており、坂谷曲輪には「東照公産湯の井戸」があります。
坂谷曲輪のどこに屋敷があったのかわかっていませんが、建物跡は見つかっています。
岡崎城にある東照公産湯跡
坂谷曲輪に産湯跡があります。
高いところにある本丸は生活するには不便なので、出産時は本丸より低い坂谷曲輪で出産したのかもしれません(勝手な推測)。
家康好きなら一度は訪れたい岡崎城。周囲には家康ゆかりの見どころがたくさんあります。
大高城
大高城からみる砦
大高城を取り囲んだ織田軍が引き上げる様子を大高城から見ているところ。先に見えている2つの砦は、おそらく丸根砦と鷲津砦。
大高城と丸根砦、鷲津砦はお互いに簡単に歩いていける距離にあります。
ドラマの映像とはちょっと距離感が違っているかもしれません。
大高城に陣取り、敵に囲まれた状況であれば、これら2つの砦は心理的にかなり近距離に見えていたということにしておきます。
見晴らしを良くするために城周辺の木は伐採されていたので、木々に覆われてしまった現在とは印象がかなりちがいます。
でもやはり距離感が……。
桶狭間の戦い時、大高城が置かれた状況など、詳しくは下記記事をご覧ください。
清州城?
織田信秀の前に差し出され、斬首されそうになる竹千代
場所がどこなのか出てきません。
尾張の人質時代、竹千代は熱田羽城に軟禁状態になっていたとされていますが、信秀の前に差し出されているので、清州城かもしれません。
大樹寺
今は普通の寺院かもしれませんが、戦国時代の寺院は城塞化され、僧兵たちが寺を守っていました。
大樹寺には、その時使用された貫木が神として祀られており、レプリカ品が展示されています。
家康を守って大立ち回りをした僧侶が使っていた巨大な杖が展示されています。一度見てみて!
松平家の墓所、徳川将軍家代々の等身大の位牌があります。徳川家康の身長は159cm。一番高いのが秀忠の160cm。5大将軍綱吉の127cmはその小ささに目を引きます。
伊達政宗も159cmだったから、この時代の武将としては平均的な身長じゃな。
3大将軍家光が大樹寺の門から岡崎城が見えるようにしたというビスタライン。天気がよく空気が澄んだ日ならきっとよく見えるはず。
今川館(駿府城)
今川館がどのような姿だったのかわかりませんが、立派だったことは間違いないでしょう。
周囲に家臣たちを住まわせていたことは明らかで、元康も駿府に屋敷がありました。
天守の後から今川時代の屋敷跡が見つかっているとはいえ、そこが義元の屋敷だったのか、本当のところはわかっていません。でも天守を配置するぐらいだから、きっとここに今川義元や氏真が暮らしていた屋敷があったと思いたい。
駿府城の天守台発掘現場では、今川時代の屋敷跡が見つかっています。
第2回「兎と狼」あらすじ
物語は、於大の方が「寅の年、寅の日、寅の刻」に生まれたとする家康の出産から始まります。実際には兎年ですが、
まさに虎のごとき猛将となるに相違ない。ガオー、ガオー
- 於大の方
- 松平広忠
- 松平元康
- 石川数正
- 本多忠勝
- 酒井忠次
- 大久保忠世
- 平岩親吉
- 本多忠真
- 鳥居元忠
- 鳥居忠吉
- 織田信長
- 戸田宗光
- 織田信秀
- 瀬名
- 山田新右衛門
- 夏目広次
- 松平昌久
- 関口氏純
- 巴
- 榊原康政
- 登誉上人
- 武田信玄
- 今川氏真
- 武田信玄
- 山県昌景
大高城から逃げるか、残って戦うかの選択を家臣たちから迫られる元康。そこへ織田信長率いる軍営が到着。今川へ送られる途中に織田へ連れ去られたときのことを思い出し、震え上がる。「この世は地獄」と。
- 実際には兎年だが、「寅の年、寅の日、寅の刻」に生まれたことにされる家康
- 迫りくる織田軍を見て、地獄の尾張人質時代を思い出す元康
- 駿府に帰りたがる元康と、岡崎に帰りたがる家臣たち
- 岡崎城へ向かう途中、大草松平の松平昌久軍に襲われ、大樹寺に逃げ込む
- 先祖の墓前の前で自害しようとするも、本多忠勝登場し、忠勝は思いを語る
- 榊原康政が登場し「厭離穢土欣求浄土」の本当の意味を教える
先祖墓前で自害しようとした元康に対し、
俺は、命を捨てるだけの値打ちがあるお方を主君と仰ぎたい。俺の真の望みは、お主を主君と仰ぎ、お主を守って死ぬことであったわ!
といって涙するシーンは良いですね。忠勝とのやり取りは、この回の名場面の一つ。
この様子を覗き見していた榊原康政が、厭離穢土欣求浄土の正しい意味を皆に教えます。史実では大樹寺の僧侶で後に大樹寺の住職になる登誉上人が説いていますが、ドラマの演出上榊原康政になっています。
厭離穢土欣求浄土の教えを受けた元康は、ウサギの顔からキリッとした虎の顔になり、正久軍を押しのけて歩みだします。虎の顔になって歩みだす殿の背中は、殿と忠勝と康政との関係の伏線です。
第2回「兎と狼」の感想
徳川家康の生まれは2説あります。それを
本当は兎年生まれなんだけど、少し早く生まれたことにして寅の年寅の日、寅の刻に生まれたことにしよう
という物語に調理してしまったことが、まず面白い。
それに合わせてドラマで描かれる家康の性格も、「本当は兎なんだけれど、時々虎の顔になる」という味付けがなされています。そこが良い!
弱気で兎な少年家康に対し、ネットでは
こんなの、家康じゃない!
と言う声が散見されましたが、私はありだと思っています。
最初から強い人なんているわけではなく、最初は弱かった家康が、いろいろな経験を通して強くなっていく物語
大樹寺と厭離穢土欣求浄土
なぜ大樹寺に入ったのか、織田軍の追撃はあったのか、確かな史料がないのでわかっていないらしいのが本当のところ。
「厭離穢土欣求浄土」:戦国乱世の穢れた世を崩い離れで浄土のような平和な時代を作るのが、お前の役目である
元康に教えたのは登誉上人ですが、ドラマでは榊原康政に言わせています。
「汚れたこの世をこそ浄土にすることを目指せ」かようなことを、登誉上人から教わりました。
ドラマを面白くするためには、これもよし。大河ドラマなんて、歴史ファンタジーなんだから。
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